2009年12月08日
上い口説-5
久しぶりの更新です。
このところ、クリスマスパーティーやイベントの打上げ、那覇マラソンとかが続いてました。相変わらず飲んでばかりいます。
さて今日は、延び延びになっていた上い口説の第5回目といきたいと思います。
ここからは海路もあるので、5番から7番までまとめていきます。
歌詞は・・・
5.船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未
(ふにぬとぅむづぃなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてまふふぃきば かじやまとぅむにうんまふぃつ ぃじ)
6.又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃ まにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとぅにみて)
7.伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
(いひゃどぅたつなみうしすゐてぃ みちぬしまじまみわたしば しちととぅなかんなだやすぃく)
ですね。
5番は、とも綱を解いて船子が帆を張り、出港する様子ですね。真艫(まふ)とは、小濱光次郎先生によると「順風に一杯風をふくらませた帆」だそうです。まさにこれから大和に向けて行くところです。
で、6番ですが、船はいよいよ出港し、那覇港の玄関口である三重城で見送りを受け、残波岬も過ぎて船旅が進んでいくところです。
昔の人もこの海を見て、大和に向かって行ったに違いありません。
そして7番ですが、伊平屋近海の波の荒いところを過ぎて行くのですが、「道の島々・・・」というのは、伊平屋から奄美諸島だと思われます。
2枚とも伊平屋の写真ですが、撮った時期が海が荒れていなかったのか、とてもきれいな楽園のような海になってしまいました。でも、実際は厳しい海なんです。
その後の「七島渡中も灘安く」の七島ですが、①口之島、②中之島、③諏訪瀬島、④平島、⑤悪石島、⑥臥蛇島、⑦宝島 の七島のことらしいです。⑤の悪石島は、少し前に話題になった「皆既日食」で有名になりました。
さて、上い口説もとうとう残りは8番だけになってしまいました。いよいよ鹿児島です。
次回、乞うご期待!!
このところ、クリスマスパーティーやイベントの打上げ、那覇マラソンとかが続いてました。相変わらず飲んでばかりいます。
さて今日は、延び延びになっていた上い口説の第5回目といきたいと思います。
ここからは海路もあるので、5番から7番までまとめていきます。
歌詞は・・・
5.船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未
(ふにぬとぅむづぃなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてまふふぃきば かじやまとぅむにうんまふぃつ ぃじ)
6.又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃ まにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとぅにみて)
7.伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
(いひゃどぅたつなみうしすゐてぃ みちぬしまじまみわたしば しちととぅなかんなだやすぃく)
ですね。
5番は、とも綱を解いて船子が帆を張り、出港する様子ですね。真艫(まふ)とは、小濱光次郎先生によると「順風に一杯風をふくらませた帆」だそうです。まさにこれから大和に向けて行くところです。
で、6番ですが、船はいよいよ出港し、那覇港の玄関口である三重城で見送りを受け、残波岬も過ぎて船旅が進んでいくところです。
昔の人もこの海を見て、大和に向かって行ったに違いありません。
そして7番ですが、伊平屋近海の波の荒いところを過ぎて行くのですが、「道の島々・・・」というのは、伊平屋から奄美諸島だと思われます。
2枚とも伊平屋の写真ですが、撮った時期が海が荒れていなかったのか、とてもきれいな楽園のような海になってしまいました。でも、実際は厳しい海なんです。
その後の「七島渡中も灘安く」の七島ですが、①口之島、②中之島、③諏訪瀬島、④平島、⑤悪石島、⑥臥蛇島、⑦宝島 の七島のことらしいです。⑤の悪石島は、少し前に話題になった「皆既日食」で有名になりました。
さて、上い口説もとうとう残りは8番だけになってしまいました。いよいよ鹿児島です。
次回、乞うご期待!!
Posted by T里之子 at 20:45│Comments(3)
│三線
この記事へのコメント
道の島々・・・・
そうですね、明らかにトカラ列島でしょうね。この島民たちは薩摩による琉球侵攻の際、七島衆として水先案内をしたとか・・・ 彼らもまた琉球でもなく薩摩でもない、力関係に頼らざるをえない人々だったんですかねぇ~・・・・
昔の(旧藩の)国境に住む者(私は会津と越後)にとって非常に身近、かつ難しい問題であることは今も昔もかわりないですね・・・(いろいろな意味で)
里之子さんの調査報告は非常に勉強になります。今後とも是非ご教示下さい!!!!!
そうですね、明らかにトカラ列島でしょうね。この島民たちは薩摩による琉球侵攻の際、七島衆として水先案内をしたとか・・・ 彼らもまた琉球でもなく薩摩でもない、力関係に頼らざるをえない人々だったんですかねぇ~・・・・
昔の(旧藩の)国境に住む者(私は会津と越後)にとって非常に身近、かつ難しい問題であることは今も昔もかわりないですね・・・(いろいろな意味で)
里之子さんの調査報告は非常に勉強になります。今後とも是非ご教示下さい!!!!!
Posted by ワタナベ at 2009年12月08日 22:31
いつも貴重な資料、写真を掲載いただき感謝しています。
この、<なだ やすぃく>は 名護親方寵文の
ふみらりん すぃかん すしらりん すぃかん うちゆなだやすぃく わたり
ぶしゃぬ
を、想いだします。
時をこえて、<心のちんだみ> が整った感がしてきて私の好きな歌です。
この、<なだ やすぃく>は 名護親方寵文の
ふみらりん すぃかん すしらりん すぃかん うちゆなだやすぃく わたり
ぶしゃぬ
を、想いだします。
時をこえて、<心のちんだみ> が整った感がしてきて私の好きな歌です。
Posted by 五木田 秀夫 at 2009年12月09日 08:09
ワタナベさん、五木田さん、コメントありがとうございます。「上い」もあと少し、最後までよろしくお願いします。
Posted by T里之子 at 2009年12月09日 19:08