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2009年08月30日

唐船ドーイ(具志 火立所跡)

昨年のことですが、散歩の途中、僕の住んでいる具志地域にあった「火立所(フィー タティ ジョ)跡」の説明書きを見つけました。
唐船ドーイ(具志 火立所跡)

近くのマンションの前にあるのですが、僕の子供の頃その付近は」米軍の基地で入ることができませんでした。
唐船ドーイ(具志 火立所跡)

それで知らなかったのですが、この「火立所跡」何をするところかというと、中国からの船や内地からの船が見えたら、烽火をあげていち早く首里に知らせるという、通信手段だったようです。
唐船ドーイ(具志 火立所跡)

唐船ドーイ(具志 火立所跡)

三交代制で付近の百姓が見張りを務め、船を見つけたならば、烽火をあげるとともに、早馬を飛ばして那覇の「親見世」に知らせたようです。早馬を飛ばしたのは、烽火だけでは心もとないんで、念のためにという感じですよね。中にはボーっとしたやつもいるだろうし・・・。
中国や薩摩からの船だと、失礼があったらいけないので、気を使っていたんでしょう。そう考えると、なかなか重要な役割を持っていたんでしょうね。

この見張り役、付近住民が交代でということは、うちの具志に住んでいた人たちは、皆交代で役をおおせつかったことでしょうから、僕のご先祖様も交代で見張りをしたのだろうか?多分、見張りをしたんでしょね。皆で交代制ですから。

それと、見張りをしていて船を見つけたり、あるいは慶良間や渡名喜の烽火を見つけたら、こちらも大慌てで烽火の準備をしたりしたと思うのですが、那覇に早馬で知らせるときは、中国からの船だと「唐船ドーイ!唐船ドーイ!!(トウシンドーイ)」と叫んだのだろうか?(唄じゃないんだから、そんなこと叫ぶわけないか。ニコニコ

「具志 火立所跡」でした。



この記事へのコメント
朝早くからの更新すごいですね!
地元の歴史を紹介なんてすごいです。結構地元にはいろいろなものがあるのに気づかずにいるんですよね。自分ももっと地元のことに気を付けながら歩こうと思います。
今日はこっちは雨です。明日あたりに台風の影響を受ける可能性があります。
では
Posted by ほりろ at 2009年08月30日 09:40
ほりちゃん、コメントありがとう。こっちも色々地元の歴史とか面白いけど、東京なんかさらに面白いじゃない。散歩しながらあちこち廻っているとなかなか楽しいよ。やってみて。
Posted by T里之子T里之子 at 2009年08月30日 11:14
そうなんですよね。
今日は、高円寺の阿波踊りを見に行こうと思っていたのですが、あいにくの雨。本当にどうなっていることやら。また、台風も近づいているようで明日の通勤時間帯は!ということで、今度は防水のデジカメが欲しくなりました。それでしたら雨なんぞ関係ないし、海にも入れるでしょうし。
傘と雨に濡れたら困るけどデジカメをもって少しプラッとしてきますね。では また!
Posted by ほりろ at 2009年08月30日 11:25
うわー、
「唐船ドーイ!」って叫んでたとしたら、いいなあ〜。
なんかこういうのってわくわくしてしまいます。
すべてが唄につながってしまうのが、さすが沖縄。

でも、T里之子さんの言う通り、
東京にだっていくらでもあるんですよね、こういうの。
つい沖縄ばかりに興味が向いてしまいますが(笑)。
地名ひとつとっても、いろんな歴史があるんですもんね。
ちなみに、私の住んでる戸越は「江戸越え」の意味があるそうです。
Posted by ちあきず at 2009年08月30日 13:56
ふぃたてぃどぅくる の ふぃ で思い出す言葉に <むとぅふぃーじぃり>が

ある。今時では、「元彼」 といったところか。焚き火や、かまどの薪の燃えさし

あるいは、燃え残りの意で、男女の間の、不完全燃焼を巧くとらえている。

大和言葉の、火遊び、火いじりなどからも、想いだしやすい島言葉である。

 しまくとぅばには、なかなか、味があるものがある。同じ意味でも<むとぅ

びれー>は私には好みな言葉ではない。

 序ながら、<むむまっくわ>など古典落語にでてきそうな、粋な言葉である

と思うが、如何かな。
Posted by 五木田 秀夫 at 2009年08月30日 13:56
ちあきずさん、ホント「唐船ドーイ」」と言って早馬を飛ばしたとしたら面白いですよね。できればそうあって欲しいところです。
そちらに単身赴任中、僕も東京のあちこちを歩いて廻りました。水道橋とか御茶ノ水の由来。何で紀尾井町なのか?とかですね。平将門の首塚もランニングをしていたら見つけました。歩いてみるとなかなか楽しくていいもんですよ。

五木田さん、すみません、勉強不足で。「むとぅふぃーじぃり」ってどういう字を書くのでしょうか?後学のためにぜひ教えていただけないでしょうか。
Posted by T里之子 at 2009年08月30日 17:46
たぶん 元火じり または、元火尻 で燃え残り のことと思えますが。

<かまんた>なども、思わず 噴出してしまう言葉ですよ。
Posted by 五木田 秀夫 at 2009年08月30日 19:30
すみません。「かまんた」は、僕が知っているのは、シンメーナービの蓋と海の「マンタ」くらいしか思いつかないのですが、ほかに沖縄に「かまんた」というのがあるのでしょうか?僕の場合、あまり知らなくてなんとも情けないのですが・・・。
Posted by T里之子T里之子 at 2009年08月30日 20:50
やっぱり「唐船どーい!」ってさけんだのでしょう。
唐船どーいの歌い出しはその慌てふためいた大声の雰囲気がでていますよね。
ちなみに今日は高円寺阿波踊りとともに、新宿二丁目レインボー祭り。なるちゃんやえいちゃんたち、それに沖縄や大阪など全国から新虹のメンバーが集まってエイサーやってますよ! 残念ながら雨に降られているようですが、どうだったのでしょう(涙)。
Posted by オニダ at 2009年08月30日 21:09
オニダさん、コメントありがとうございます。「唐船ドーイ」とうちの連中が叫んだとしたら、歌詞の中にうちのご先祖様たちが出てくるようで、これはなかなか嬉しいですね。(そうじゃないかもしれないですが・・。)

ところで、高円寺の阿波踊りですが、僕の東京単身赴任時代の後輩である「ほりろ」さんが行くようなことを言ってました。

雨の中のエイサー大変ですよね。どうだったのでしょうか?
Posted by T里之子T里之子 at 2009年08月30日 22:40
どうも朝からは、書きにくいですが、<かまんた>は、本来は釜の蓋の意

でしょうが、別意は 間男の意 であろうと。

 主人の留守に間男を引き入れて その最中に、家人が帰ってきた気配、

不貞の妻が、咄嗟に、その間男を釜のなかに閉じ込めて蓋をして難をのがれ

たとか。なぜか、<かまんた>といい、石川五右衛門の 釜ゆで といい、

良い行為の結末でないところですね。

 <みもふたもない>というこちらの言葉がありますが、<かまんた>の

間男の科白にも一脈通じるような気がします。
Posted by 五木田 秀夫 at 2009年08月31日 10:43
楽しく| 南部小禄(ウルク)らへん 散策させていただいて下ります。
T里之子さまのご先祖は具志住民なんですね!私の先祖も那覇小禄地区大嶺です。先日の旧盆の期間に首里城を見学する機会がありました。偶然ですが城壁から眼下の町並みを見ていたら小禄や豊見城、与那原までよく見渡せました。その際に動向していたかみさんに、「昔は携帯電話などなかったから連絡方法はのろしを上げて地域から首里の役人に連絡したんだろうな」と話したことを思い出しました。具志にものろしを上げる場所があったのですね。機会があったら是非私も散策したいと思います。余談ですが、小さいときに「近所の先輩(11歳程度)があかむやーいくそ!って少年10名くらいで片道1時間強歩いて冒険した記憶があります。目的は、あかむやーの洞窟に入って肝試し的なあそびです。今では住宅地やマンションが立ち並んでいるのでなくなってしまっているかも知れませんね!機会があれば是非T里之子さまもあかむやーを散歩してくださいね!ではまた立ち寄らさせてくださいね
Posted by 上地 雅樹 at 2011年08月21日 17:18
 
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