那覇港周辺の今昔(三重城・屋良座森城)

T里之子

2009年03月09日 19:20

最近、那覇港周辺の写真を色々撮っています。ある程度撮りためたら、「那覇港周辺の今昔」ということで紹介してみたいと思います。第1回目は三重城(ミーグシク)・屋良座森城(ヤラザムイグシク)です。


三重城(みいぐしく)は、那覇港入り口にあったグシクで、16世紀後半に倭寇への防御のため造られたということです。当時は陸から短冊のように島と島を橋で渡すように出来ており、島の先端には砲台があり、対岸の屋良座森グスクと対で那覇港を守っていたらしいです。対岸にあった屋良座森グスクについては、現在は米軍の軍港になっており、昔の城跡とかは何も残っていません。
この三重城の由来ですが、「対岸にある屋良座森グスクよりも新しく出来たため、新城(みいぐすく)と呼ばれていたのが、いつの間にか三重グスクと呼ばれるようになったという説と、当時は三つの橋から出来た城だったので、三重グスクとも呼ばれた」という説が残っているそうです。

琉球古典音楽の「花風節」でも「三重城に上(ヌブ)てぃ 手布(ティサジ)むちゃぎりば 早舟(ハヤフニ)ぬ習れや 一眼(チュミ)ど見ゆる」という有名な歌詞がありますが、上り口説や下り口説にも三重城は出てきます。昔は、見送り・出迎えの場所だったようです。

で、昔の写真がこれです。


写りが悪くて申し訳ありません。

今もこの面影は残っています。ですが、積まれている石垣はもう崩されてありません。では現在の三重城はというと・・・。







こんな感じで、拝所(ウガンジュ)にお参りに来る方が大勢います。

この三重城ですが、葛飾北斎も「琉球百景」のなかに描いています。



三重城の手前にあるのは臨海寺でしょう。北斎は沖縄に来たこともないのに、「琉球国志略」という中国の書物を元に「琉球百景」を描いたそうです。その割にはちゃんと描けてますよね。

ここに面白い写真があります。あまり公開されていないのですが、第2次大戦が終結した直後の那覇港です。



米軍が空撮したらしいんですが、三重城とまだ崩されていない屋良座森城がはっきりとわかります。その部分だけ大きくしてみます。



どうですか?周りに米軍のテントがたくさん張っていて、終戦直後だとわかります。三重グスクはこの写真では石垣が少し残っているのかな・・?ですが、対岸の屋良座森城は石垣がちゃんと残っています。これを崩して那覇軍港を作ったのでしょう。もったいないことです。

同じように上空から撮ることはできないのですが、今はこんな感じです。



手前の軍港のかどあたりに屋良座森城があったみたいです。

そんな屋良座森城の昔と今です。





当時は何も考えずに壊したのでしょうが、歴史的に価値があるものを壊すのって、もったいないですよねえ。那覇軍港も返還のうわさがあるので、返還になったら三重城と一緒に再建してしまえばいいのに・・。と思うのは僕だけでしょうか?

三重城・屋良座森城でした。

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